新世紀エヴァンゲリオン 蒼い瞳のフィアンセ


第5部



第90話 撤退

「…す、すまない…。許してくれ…。」 ジャッジマンは、深々と頭を下げた。頭を下げた先には、怒れるアスカが映っていた。 「…一体、どういうことなのよ…。説明しなさいよ…。」 アスカは、ジャッジマンを睨み付けた。静かな口調だが、その声には抑えきれないほどの 怒りの感情が込められていた。 「…申し訳ない。返す言葉も無い。全て、俺の責任だ。」 そう言って、ジャッジマンは頭を上げようとはしない。 「だからっ!何が起きたのか説明しなさいよっ!」 何も言い出さないジャッジマンに、とうとうアスカはキレて大声を出した。 「…それが、分からないんだ…。一体何が起こったのか、何でこんなことになったのか…。 分かっているのは、エカテリーナとフェイが死んだらしいということだけなんだ…。」 ジャッジマンの体は震えていた。その震えは怒りによるものか、はたまた自らを情けなく 思う気持ちから来るものかは分からない。 「…そうなの。で、死傷者はどれくらいなのよ?まさか、それすら分からないっていうん じゃないでしょうね。」 アスカは、凄味を効かせて聞いた。その声には、分からないとは言わせない迫力があった。 「いや。死亡者、行方不明者、合わせて30人だ。重軽傷者は127人いる。」 だが、この質問にはジャッジマンも何とか答えることができた。そのためか、アスカは少 し落ち着きを取り戻したようだった。 「そういえば、エカテリーナとフェイのガードはどうしてるの?何か目撃していないの?」 アスカは質問の矛先を変えてきた。だが、ジャッジマンは悔しそうに答えた。 「2人のガードは、非番の者以外は全員死んだ。12人いたガード全員が死んだ。」 それを聞いたアスカの声は、一際高くなった。 「あら、計算が合わないわね。アタシは常時2人だったガードを倍にするように言ったわ よね。で、トルコでのテロの後はさらに3倍にするように言ったはずなんだけど。アタシ の計算では1人当り常時12人で、合計で24人てことになるんだけど、アタシの計算ミ スかしら。」 アスカの声は次第に興奮し、うわずっていく。 「いや、計算ミスじゃない。」 ジャッジマンは、絞り出すような声で答えた。 「へえっ、それじゃあ合計で24人のガードがいたはずよねえ。ねえ、そうでしょ?」 アスカの目は、獲物を狩る猛禽類の目になっていた。鋭い視線がジャッジマンを射抜く。 「いや、1人当り6人で十分だろうと思ったんだ。だから…。」 「ふざけんじゃないわよっ!アンタが命令通りにしていたら、 フェイ達は死なずに済んだかもしれないのよっ! 一体、どうやって責任を取るつもりなのよっ!」 バン!とアスカは机を強く叩いた。 「…す、すまない…。許してくれ…。俺のミスだ…。いかようにも責任は取る…。」 ジャッジマンは、未だに頭を上げることが出来なかった。 「まあいいわ。責任うんぬんは後回しよ。今はとにかく、一刻も早くそこから撤収しなさ い。もう、一人も死なせるんじゃないわよ。」 「だ、だが、現在碇司令に連絡して指示を仰いでいる。俺の独断で撤収することは…。」 「つべこべ言わないっ!それ以上言ったら、コロスよっ!」 アスカは、悪魔でさえも敵わないと思えるほどの殺気を込めた目つきでジャッジマンを睨 み付けた。 (こ、この迫力。この俺さえも縮み上がるほどの迫力、これが惣流アスカなのか…。) ジャッジマンは、背筋が凍るほどの恐怖を味わった。幾多の戦場を駆け抜け、戦場に敵無 しとまで言われたほどの男だが、その男がこれまでの人生で最大級の恐怖を味わっていた。 (ここで断ったら、本当に殺されるな…。) ジャッジマンは、本能的にアスカが本気であることを感じ取った。 「了解しました。速やかに撤退します。」 ジャッジマンはそう言うが早いか、即座に行動を開始した。 *** 「ちくしょうっ!ちくしょうっ!ちくしょうっ!」 ジャッジマンとの通信が終わるや否や、アスカは机を叩きだした。その瞳には大粒の涙が 浮かび、すぐに瞳から溢れて涙が頬を伝った。 「アタシがもっと気をつけていればっ!もっと、もっと、注意していればっ!フェイ達は 死なずにすんだかもしれないのにっ!」 そして、ひとしきり泣いた後、顔を洗って涙の跡を綺麗に消した。ちょうどその後に、シ ンジとマリアが連れ立ってアスカルームへと入ってきた。 「ア、アスカっ!ダンマームでテロがあったって、本当なの?」 マリアの問いかけに、アスカはコクンと頷いた。 「冬月さんは無事なのっ?マヤさんはっ?青葉さんはっ?パイロットのみんなはっ?」 シンジは興奮して、矢継ぎ早に聞いてきた。 「副司令も、マヤも、青葉さんも無事よ。でも、フェイとエカテリーナが死んだわ。」 アスカは努めて冷静に答えたが、シンジは興奮したままだった。 「な、なんだよ、アスカ。なんでそんなに冷静でいられるんだよ。フェイさんとエカテリ ーナさんが死んだなんて、何かの間違いだよね。ねえ、そう言ってよ。」 シンジは泣きそうな顔で言ったが、アスカは意に介さなかった。 「残念ながら、間違いじゃないみたいよ。それに、アタシは別に冷静じゃないわ。アタシ のハートは、燃えているわよ。」 「あの、はらわたが煮えくり返っているって言うんじゃ…。」 マリアが口をはさむと、アスカは苦笑した。 「そうね、その通りよ。アタシとしたことが、熱くなって間違えたようね。」 そう言った後、アスカは3回ほど深呼吸をした。 「ふうっ、これでいいわ。実はね、これから2人に頼みたいことがあるのよ。急ぐから手 短に説明するわ。」 「ええ、何をすればいいの?」 冷静に応えるマリアと対照的に、シンジはまだ興奮していた。 「ちょっと、何を言ってるんだよ。2人も友達が死んだんだよ。何で冷静になれるんだよ。 何も出来る訳がないじゃないかっ!」 だが、アスカは冷たい目でシンジを見つめた。 「ハン、しょせんアンタはその程度の人間よね、情けない。騒ぐだけなら、邪魔だから出 て行ってよ。」 「だって、しょうがないじゃないかっ!なんで、アスカはそんなに冷たいんだよっ!友達 が2人も死んだのに、何とも思っていないのかよっ!」 「だから、前にも言ったでしょ。死人が出るかもしれないって。」 そう、以前アスカはシンジと次のようなやりとりをしたことがある。 『半分以上はここに残ると思うけど、何割かは戦場に行くわね。その中で再び生きて会え るのは何人かしらね。』 『やめてよ、アスカ。縁起でもない。』 『はあっ?アンタ、バカァ?戦場に行けば、死人が出るのは当たり前でしょ。』 アスカは、戦場がどういうものかを知っていた。絶対に安全な戦場など無いことを。だか ら、シンジには万一の時のための心構えをしてほしくて言ったのだが、馬の耳に念仏だっ たようだ。 「そんなあ。アスカはフェイさん達のことが嫌いだったの?そうなの、そうなんでしょ?」 シンジがそこまで言った時、アスカの手が動いた。 「パシーン!」 「痛てっ!」 シンジは、アスカに引っぱたかれた頬を押さえた。 「ドカッ!」 「うっ!」 今度は、シンジはアスカに殴られた腹を押さえた。 「アンタって、サイテーね。出てって!そして、もう2度とアタシの前に現れないで!」 そう言ってアスカはクルリとシンジに背を向けた。だが、アスカを愛するシンジには、そ んなことは受け入れられない。シンジは少しだけ考えていたが、直ぐに行動に移した。 「アスカ、ごめんなさい。僕が悪かったよ。ごめんなさい、本当にごめんなさい。」 土下座するシンジだったが、アスカの声は冷たかった。 「直ぐに謝る癖は、直すんじゃなかったの?」 「でも、今のは僕が悪かったんだ。アスカだって平気なわけないのに、思い込みでアスカ のことを悪く言ってしまった僕が悪いんだ。僕が勝手に、友達が死んで悲しんで泣くアス カを想像して、その通りにならなかったから何故か腹が立って。でも、気が動転していた だけなんだ。本心から言ったんじゃないんだ。それだけは分かってほしい。」 シンジは、いつの間にか涙を流し、声を震わしていた。 (ふう、落ち着いたようね。じゃあ、許してあげようかしら。) アスカは、今度は少し優しくシンジに声をかけた。 「いいわ、許してあげる。その代わり、みっちりと働くのよっ!」 「う、うんっ!ありがとう、アスカ!」 シンジは、今度は嬉し涙で顔をくしゃくしゃにした。 *** 「冬月司令官、急ぎ撤退しますので、ご準備をお願いします。」 ジャッジマンは、冬月の部屋に入るや否や、撤退を宣言した。 「ほお、碇とはまだ連絡が取れないのだがな。誰が撤退を許可したのかね。」 「誰も許可していません。私の独断です。」 「それは妙だな。先程までは、迷っていたではないか。一体、何があったのかね。」 「いえ、何もありません。現在の状況を総合的に分析した結果、撤退すべきと判断しまし た。」 「ほうっ、ちなみにアスカ君から先程連絡があってね。誰かをからかって撤退するように 言ったところ、本気にしたと言うのだよ。一体誰のことか分かるかね?」 「い、いえ、分かりません。」 ジャッジマンは、背中に冷や汗が流れた。 「アスカ君は、もう少しここに踏みとどまるようにと私には言っていたのだが、君はアス カ君の意見には反対かね。」 「い、いえ、そんなことはありません。」 げえっ、俺はからかわれたのかと、ジャッジマンは真っ青になった。 「じゃあ、どうするかね?」 「は、はあ、今しばらくここに残ります。」 だ、冬月の顔は渋面になった。 「ふうむ、やっぱり君はもう少し冷静になりたまえ。」 「は?」 「今、私が言ったのは冗談だよ。それくらいも分からないのかね。」 「なっ!」 ジャッジマンの口は、大きく開かれた。 「アスカ君が、こんな時に冗談を言うわけがなかろう。頭を冷やしたまえ。君は、アスカ 君に撤退するように言われたのだろう?違うかね。」 「いえ、違いません。まさしくその通りです。一刻も早くここから撤収しろと。」 「それを早く言いたまえ。まったく、貴重な時間を無駄にしたではないか。」 カッコつけおってと言いながら、冬月は小さなバッグをつかむとすっくと立ち上がった。 既に脱出の準備は終わっていたようだ。 「す、すみませんっ!」 そう言いながらジャッジマンは思った。まだまだ冬月には敵わないなと。 *** 「アスカ、どうしよう…。私、フェイの妹さん達になんて言ったらいいの…。ううっ、こ、 こんなことになるなんて…。」 ミンメイは、アスカとの通信がつながると、たまらずに泣き出した。 「アタシにも、どう言ったらいいのかは分からない。でも、なるべく早く伝えた方がいい と思うわ。それに、中国支部とロシア支部の支部長か幹部クラスの人がご家族のところへ 向かっているはずよ。」 「ええっ、もう…。でも、まだ遺体が見つかった訳じゃないのに。死んだと決まった訳じ ゃないのに…。」 涙を流すミンメイに、アスカは唇を噛みしめながら言った。 「それが、決まったのよ。マリアやシンジ達に手伝ってもらって、基地内の監視カメラの 映像データを片っ端から確認したの。そしたらね、2人が爆発に巻き込まれる瞬間の映像 が見つかったのよ。」 「それじゃあ…。」 「ええ、間違いないわ。2人は爆弾テロの犠牲になったのよ。」 「そう…。フェイ達は本当に死んだのね。」 「ええ、残念だけど間違いないわ。」 「悔しい。本当に悔しい。きっとこの手で仇を討ってやるわ。」 「ミンメイ、そうは言っても、実行犯は死んでいる可能性が高いわよ。」 「きっと、指図した人間がいるはずよ。」 「言いにくいけど、多分証拠はないわよ。だから、真実は誰にも分からないわ。」 「そんなことない。犯人は決まっているわ。奴らよ。」 「そう、決めつけないで。」 「ううん、私には分かるわ。」 ミンメイは、そう言いながら、拳を強く握りしめた。 *** 「アスカ、大変だよっ!」 通信が終わった時、ミサトのところへ行っていたシンジが戻ってきた。 「どうしたのよ、シンジ。」 「いいから、これを見てよ。上では大騒ぎだよ。」 シンジはそう言いながら、イラクの国営放送を映し出した。そこでは、ニュースキャスタ ーが嬉しそうにニュースを流していた。 「…繰り返します。悪魔の手先どもに、神の裁きが下りました。悪魔の兵器エヴァンゲリ オンが4機大破し、悪魔どもはアラブの地から逃げ出しました。そして、少なくとも悪魔 の手先のパイロットうち、2人が死亡しました…。」 シンジは興奮しながら大声を出した。 「やっぱり、奴らがやったんだよっ!間違いないよっ!発令所では、敵討ちをしようって、 みんなが大騒ぎだよっ!」 それを聞いたアスカは、しばし呆然とするのであった。 (第90.5話へ)

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あとがき    2名のパイロットを失い、エヴァンゲリオンが大破したネルフは、アスカの決断により サウジアラビアから撤退しました。もちろん、敵軍を攻撃しようとしていた作戦も中止と なりました。今までの順調な作戦が嘘のような大敗です。  果たして、今後の展開はいかに。アスカは次にどのような手を打つのでしょうか。 2004.5.31  written by red-x



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